怠惰な未来への妄想
ぐわわんぐわわんと脳が揺さぶられるような頭痛でぼんやりしてる。そのぼんやりな妄想を書き出してみる。
近い将来3Dプリンターが家庭にも普及して、ダウンロードした図面を木やプラスチックや金属に掘り出して自分好みの小物が作れるようになるだろう。これは一つの素材を立体的に加工する技術。
その先には、複数の素材をもっと複雑に組み合わせてものが作れるようになるのだろうか。例えばレンジみたいな箱に肉野菜を入れれば料理が出来上がるとか。ミシンに布と糸とボタンやその他を入れればサイズぴったりの洋服を作ってくれるとか。
そうなったとき、人間の仕事はどこに必要だろう。
一番プリミティブなところでは、様々な良い素材を作れる人はきっと必要。
そして、その素材を加工できる機械のハードやソフトのエンジニア。
出来上がるもののデザインやレシピを作るデザイナー。
そのデザインを売買するマーケットを作る人。
多彩なデザインを編集して紹介するキュレーター。アパレル主導のファッション的なトレンドの作られ方も、変わってくるだろうね。そもそもトレンド、ってのがもっと薄くなるかも。
なんだか未来のEtsyみたい。
誰もが自分で服を作っていた中世の注文服の時代の後、大量自動生産の工業化が既製服の時代をもたらし、そして今度は生産が個人でも手軽にできるようになってまた注文服の時代になるイメージ。
そして、人間の仕事としての存在感が薄くなるものもあるね。ざっくり言うと、クリエイティブでないと生き残れないんだろうな。ものを生み出す現場から遠く離れるほどその立ち位置は厳しそう。
そして、十数年後。こんな未来を眼前にしたときの少しだけお年を召したわたしは、クリエイティビティが武器のフィールドで若い子達と肩を並べてバリバリ動ける?何がわたしの武器になる?
未来を考えるのは楽しい。怖い。怖い。楽しい。
そのときわたしがどんなことをしてたっていい。世界がどんなだっていい。その世界を見なきゃ。
iPhone より