電子書籍のおかげで本を読む人が増えればいいと思う

@pictexさんの「電子書籍についての私的考察メモ « マガジン航[kɔː]」記事を拝読しました。わたしの下記発言から着想されたという内容も含む示唆深い論考を読ませていただけたことを感謝します。と同時に、彼の意見を読んで私も思うところがあったので書いてみます。

http://twitter.com/kaoritter/status/21662979726
おそらく、これが私の元発言。

http://twitter.com/pictex/status/22076415895
だそうで、嬉し恥ずかしい限りです。

いわゆる「電子書籍」と呼ばれているものの定義

画面の中のひとまとまりの長文を読むことを電子書籍と言うならば、私たちはこれまでもデスクの上のモニターを通してたくさん読んできました。一方バズワード化しつつある、いわゆる「電子書籍」が、これまでの画面内で文字を読むあらゆる方法と一番異なるのは、読者と文字との距離。大なり小なり書籍に似たサイズの薄い板状のデバイスを片手に、ソファに座り、またはベッドに寝そべり、リラックスして読むことができる環境が、「画面上のテキストを読む」ことを「読書」に進化させたのです。たとえば、英語圏においては既に、次に述べるような電子書籍環境が整っている。

  1. 数百冊を格納できる、ほど良い大きさのデバイス
  2. 読みやすい画面(eインクのように目に優しい、もしくはiPadのようにカラフルな)
  3. 紙より安価に人気コンテンツを数クリックで購入できる配信プラットフォーム


ご存知の通り、日本ではまだこのような環境は整っていませんが。 :P


アクセシビリティが広げる読者層


本好きは紙でも電子でも好きなものを好きなように読めばいいと思ってます。彼らは今後も本を何らかの手段で買い続けるでしょう。


ドラッカーは言う。「企業の目的は利益の追求ではなく、顧客の創造」であると。私が一番電子書籍に期待しているのは、ここです。新たな顧客を作ることはつまり、書籍に親しむことができる人を増やすこと。電子書籍は、これまで視力など様々な問題で本を読む習慣がなかった人へも情報を提供する手段になりうることに一番期待しているのです。だから冒頭の発言に戻る。


http://twitter.com/kaoritter/status/21662979726


電子書籍に必要なユーザビリティとアクセシビリティ


というわたしのスタンスを明確にしたところで、元記事を引用しつつ、稚拙ながら意見を述べさせて頂きます。


フォントの変更


最初からその「電子書籍」がヒラギノやリュウミンといった商業印刷で採用されているレベルのフォントで表示されている場合、わざわざ別のフォントに変更して読みたいと考え実行する人がどの程度いるのであろうか? 秀英体で表示されている本文をMB101やメイリオに変更して読みたいと願う人が果たしているのであろうか?

できればゴシックと明朝を切り替えたい。明朝の細い線はデバイスの解像度によっては読みづらい。


文字サイズや画面照度の変更


弱視や老眼などのため、読者の側で文字サイズを大きくしたり、明るさやコントラスト、背景色と文字のカラーなどを変更したいという要求は当然あるだろう。しかしそれは「自由に変更」できるべきなのか? プリセットの数パターンがあれば済むというか、かえってそちらの方が親切で便利なのではないのか。

プリセット歓迎。たとえば、Opera ブラウザには[表示]-[スタイル]からCSSを切り替えることによって、目の悪い人、色盲の人や、マウスの操作がしづらい人向けに文字のサイズやコントラストを変更したプリセットがいくつか用意されている。電子書籍もこれがあるべき。アクセシビリティモード、のような。また、機械音声での読み上げも欲しい。


ズーム


弱視の人にとって、レイアウトや図版サイズはそのままで文字サイズのみを変えるということが最適解なのかは大いに疑問だと思う。

図版もズームすれば良いのではないかと思います。ベクター画像を扱えるSVGが利用できます。テキストもズームにあわせてリキッドに図版を回り込む表示にすることで、困る人がいるでしょうか。レイアウトを壊滅的にしたくなければ、プリセットでズームの上限値を決められるでしょう。


リキッドレイアウトと固定レイアウト


リキッドと違い、版面が固定されれば、それぞれのデバイスと眼との距離が想定できる。となると出版側で標準的・理想的な表示フォントのサイズも想定できるようになる。もちろんコンテンツによって違いはあるが、電子書籍をリキッドにこだわるのと2種類のサイズ作るのでは、どちらが制作・流通にかかる負担が少ないのだろうか。そういえば2種類の版面サイズというのは文庫本とハードカバーをも想像させる。 当然ながらリキッドにはリキッドの利点もある。しかし見え方を出版側がコントロールすることも、コンテンツによってはある程度重要となることがあるのは事実だ。文章の書き手は、どういう読まれ方をするのか想像しながら書く場合が多い。

出版社のコントロールした読み方を読者に望めば、その読み方にそぐわない人は読むことができなくなります。それでよければそれでいいのですが、それってすごくもったいないのではないかと思います。詩など改行のリズムが大事なのもよくわかりますが、もうちょっと読者の好きに読ませてよ、とWebに慣れた人間としては思うのです。著者の意図と読者の利便性、常にトレードオフではありますが、私はどっちかというと読者の利便性よりなのだと思います。


個人的には、



最近の「電子書籍」に関する話題でも、読者のエクスペリエンスはあまり取り上げられていないようだ。出版不況に絡めて、電子出版ビジネスの話はすでにプロパガンダ化している。

出版社内部の紙ビジネスへの閉塞感からの電子書籍ブームだけでなく、「新たな読書体験を提供できるもの」に期待する1ユーザも少なくともここにはいます :) そして、引き続き業界の隅っこで、電子書籍体験に対して一言もの申していきたいと思ってます!江頭っぽくね!


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